子どもにとっての自然な言語環境

子どもにとっての自然な言語環境

私は、子どものために多言語の環境作りをせっせと継続してきました。自分もその中で生活しているわけですから、当たり前だけど、「環境があれば、誰だって話せるようになる!」と言っているのですから、もう英語さえもできない!と思い込んでいた大人の私でも多言語がだんだんとわかるようになってきました。

でも、思うのです。

親が愛情を持って作る環境は、ちゃんと子どもに伝わっています。それが、日本で作れる疑似多言語環境でも、大好きな両親や兄弟と一緒にやっていれば、もうそれは本物の多言語の環境です。

たまに「多言語をやると発達障害になるから、やりません!」と怒る保護者の方がいらっしゃいます。ネットのデマを本気で信じている保護者の方がいらっしゃるのです。そして、ヒッポでは家でマテリアルCDを聞いているのですが、それも「機械を通した音を聞かせるのは子どもに悪い!」と主張される方もいますが、それも極端な気もします。幼稚園や小学校に上がったら、放送もあったり、普段家でつけっぱなしにしているTVも悪いということになるので、現代にあった生活をしてもいいのかなぁと思います。

世界中で3言語以上話せる人の割合は60パーセントくらいだと言われています。その人達が全員そうなのかと考えたら、わかることですが、そういう人にいくら説明しても、デマの方が正しい情報と思い込んでいらっしゃるので、何を言っても伝わりません。

それに、発達障害は、障害ではなく、「個性」だと思います。決して、障害ではない。とても失礼な話です。

そして、多言語をやったら、ことばが話せなくなったり、偏差値が下がったり、母語である日本語の支障になったりすることは全くありません。

そういう人に出会うと、日本人的な発想で、まだまだ世の中的に英語以外の言語を話すことに、ものすごく抵抗があるように思います。英語を話せるようになるのも、特別なこと。3言語以上話せるようになるのは一握りの天才の人の話。外国語を話せるようになるのは、努力と才能が必要、そして、何か怖いことをするようなことだと象徴しているようなエピソードです。

どうしても、親が経験したことの範囲内での判断になってしまうのも、とても残念なことです。海外で生活したことのない日本人にとって、ほとんどの人が3言語以上の言語に触れることも日常ありません。そして、そういう人達とも出会う機会も少ない。そういう人を批判しているのではなく、これもまた日本の当たり前なのです。

ここで、うちの4番目の息子(次男)の話が面白かったので、少し次男の話をしたいと思います。

次男は生まれた時から、多言語の環境で育ちました。長女は2歳から。次女と長男も生まれた時から。母親の私は30歳くらいの時から。父親は数年遅れて、メンバーになりましたが、家の中では多言語が聞こえる環境で生活していました。そう、家族みんなが多言語の環境で過ごし、その中で次男は生まれ、育ちました。

そして、週に1回とか、2回。多い日は3,4回と、自由に何回行ってもいいので、行ける時はファミリーに行ったり、お茶会で多言語を楽しんでいるママたちのお家でお昼ごはんを持ち寄りながら、シェアして一緒に食べながら、多言語談義を繰り広げ、小さかった子ども達は、一緒に連れて行かれる日々でした。

そんな感じで育った次男が、小6になった時に、ふとこんなことを言いました。

「ママ、ヒッポって、お金払っているの?」

息子もびっくりしている様子でしたが、私もびっくりしました。

次男に聞いてみると、お金を払わない児童館や多言語の公園に行っているのだと思っていたらしいです。(厳密にいえば、児童館も公園も税金でお金を払っているのですが)たしかに、ヒッポでは先生もいないし、カリキュラムもない、走り回って友達と遊んでいるのだから、公園に行っているような感覚なのも、納得です。当然、宿題もないし、教科書を見て文字を読むということもしないし…

そのファミリーの場には、当たり前にたくさんの色んな人が遊びに来て、そこで話される話が、海外にホームステイに行った体験談、ホームステイの受け入れした体験談、日常のことを多言語で話したり、多言語の面白い音をしシェアしたり・・・と多世代の色んな人の話を聞いて育ってきました。それも、子どもなので、ありがたいお話として聞いているわけではありません。

仲の良いお兄さん、お姉さんなど家族のような、親戚のような人達が話すわけですから、普通のこととして子どもは受け止めています。

雰囲気も、学校に行っているような雰囲気でもない。

次男が勘違いするのも無理はないし、むしろそれくらい自然なこととして受け止めていたことに感動しました。よく友達に「習い事は何をやっているの?」という話題の時に、自分は何もやっていないから、何か習い事をしたい!と言っていたなぁと思い返しました。

習い事ではなく、環境。自然だから、子どもにとっても親にとっても負担でない。「宿題はやったの?」とイライラすることもありません。

幼児期からの過度な教育も問題視されることが多いですが、次男が勘違いするくらい自然な言語環境なら、むしろそれは教育といった勉強ではなく、環境の中で育つ母語のようなものだと思います。

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