50代9ヶ月長期留学WIP⑦〜嬉しいことは続く①〜
どうしたんだろう?信じられないくらい嬉しいことが続いてます。
うちの子4人は、1番上と、1番下の子の歳の差が6歳。小学校に1年間だけ、小6に長女がいて、次男が小1で、子ども全員が同じ小学校で過ごした年があったのですが、それくらい歳が近い子ども達。当然、その頃の子育ては毎日が大変だったので、私は「早く大きくなって!」と呪文のように唱えていました。
毎日怒ってばかりの日々。そんな自分にも嫌気がさして、落ち込むこともしばしばありました。
でもそんな日々は、今から振り返ると、本当にあっという間でした。まるで台風のように吹き荒れて、過ぎていってしまった感じ。今や子ども達は、1番下は今年で20歳、成人式を迎えます。大きくなったものです。
大人の長期留学WIPに行くと決めて、信じられないくらい嬉しかったことが更に2つ続きました。聞いて下さい〜。こんなことは、滅多にないと思うので、思い出に書き残しておこう思うのです。
1つ目は、次女の言葉でした。
WIPに行く決心がつき、アプリケーションも出し、留学に行く準備をしないといけない時期(10月くらいだったかな?)に、家族でスーパー銭湯に行った時の様子です。
次女と広い湯船に浸かりながら、大人の私が、次女からダメ出しを受けたのです。「ちゃんと準備しているの?メタカツはしているの?朝起きて、すぐにスピーカーをポチッとつけないといけないんじゃないの?」と、くどくどと長い説教が続くのです。
本当に「どの口が言ってるねん!」と思いながら聞いていました。笑
というのも、次女のことを少し詳しく書こうと思います。この歴史を知らないと、この言葉が面白くない・・・
次女は、4人兄弟の中で1人だけ高校留学(イヤロン)に行かなかったと前回も書いたのですが、中1の夏のアメリカ青少年交流を最後にヒッポに出なくて、この前13年ぶりくらいに(地元じゃなく、北海道だけど)ファミリーに出るまで、本当にずっとヒッポ嫌いが10年くらい続いていたのです。
次女が小学5年生くらいの時も、あまりに子ども達の態度がファミリーで悪かったので、家に帰宅してから叱った時に、私が「あなた達のために多言語の環境を作って、ママはヒッポのフェロウをやっているんじゃないの!なんでわかってくれないの!」と、4人の子ども達を叱った日があったのです。

そしたら次女は思春期もあったし、反抗期もあったと思うけど、「そんなの頼んでないし!」と次女に言い返されて、私はカチンと切れてしまって、ファミリーで食べようと、夕飯に持って行ったラップに包んだ食べ残しのおにぎりがテーブルの上に1個ポンと置いてあって、そのおにぎりを恥ずかしながら、怒りで投げてしまったというエピソードがあって・・・。(過去に物を投げたのは、その時だけですよ笑。我が家では、これを「おにぎり事件」って言って、今や笑い話です。)
「おにぎり事件」は、多言語の環境を作るのは、子どものためと思ってやったら、子どもから嫌がられるという経験だったと思います。
その時に、ヒッポは人に強制するんじゃなく、自分が楽しい、自分がやりたい!あくまでも、誰かのためにやったら、それは偽善になる・・・よく榊原さんが「偽善者」の「偽」という漢字は「人」の「為」と書いて、「偽(にせ) 」っていう話をしてくれたことをこのエピソードと共に思い出します・・・楽しい雰囲気という環境作りができてこそ、自然な環境となる・・・若い私は、子どもの将来のために頑張る日々だったので、そんな辛そうにしている母親を見て、「そこまで頑張らなくてもいいのに・・・」と、夫からも、子ども達からも言われていた頃でした。
でも嫌いになったきっかけは、小5で行った青少年交流が辛い体験だったからだと思います。初めての海外、初めて会うホストファミリー。自分の思い描いたホームステイとは、想像とは全く違った現実。小5の娘の体験を聞いて、本当によく頑張ったなと思いました。いろんな人がいるから、これで終わりにしたらいけないなと思って、中1でアメリカ1ヶ月間の交流(ホームステイ)を勧めました。アメリカのホスト家族はとても優しくて、日本に帰ってからもアメリカのホストに会いたい!と逆ホームシックになって、涙を流すくらい良い交流だったのですが、それでも国際交流の大変さは、かなり頑張らないといけないもので、ヒッポ嫌いが覆らなかったのです。
生まれた時からヒッポの多言語環境で育ち、ヒッポ嫌いになる小5までは、どんな言語もすぐにマテリアルの1場面言えてしまうような、人間ジュークボックスみたいな次女でしたから、それはそれは、彼女が大きくなって多言語人間になるのを楽しみにしていたのだけど・・・多言語が言えるだけではダメで、当然そこには目の前に人がいる。しかも色んな人がいる。どんな人とでも、どうやって仲良くなろうか?と考えるのは、大人でも大変なのに、子どもも当然大変だったと思います。
そして、中学1年生で1ヶ月間アメリカ青少年交流に行ったのを最後にファミリーに来なくなり、バドミントンの部活を頑張っていました。中2で部長になり、中3で関東大会にまで進みました。そして高校もバドミントンが強い高校に進み、練習を1日も休まず頑張り、やはり高2で部長になり・・・そんな負けず嫌いで、頑張り屋さんの次女でしたが、多言語の環境作りを仕事にしているフェロウの私としては、部活動よりも、いつ高校留学(イヤロン)に行けるのかが気になって、次女にイヤロンを勧めたら、イヤロンに行きたくなさすぎて、家出を1日されてしまうということが起こったので、もうこの子には留学を勧めてはいけないなという雰囲気になっていました。
大学生になり、自分で海外旅行に行くようになって、弟2人もイヤロンに行き、我が家に高校留学した仲間がたくさん遊びに来るようになって、次女も最初は一緒にご飯も食べなかったのが、そのうち一緒に食べるようになり、話すようになり、笑うようになって、雰囲気が変わり始めて、北海道でファミリーに出るという、我が家にとっては、奇跡みたいなことが起こったのです。13年かかってますが・・・
こんな歴史がある次女。その次女と2人で銭湯に浸かりながら、その次女に叱られる私・・・。
ね?「どの口が言ってるねん!」って、言いたくなりますでしょ?笑
でも、お風呂の中で、私、嬉しくて、泣きそうになりましたよ。流石に。。。ヒッポ続けてきて、よかったな・・・と、心から本当に思いました。こんな日が来るんだなぁって。
そしてね、更に次女は、こう言ったんです。「もっとメタかつしなきゃダメじゃん」って。笑
「え?次女のあなたが、そんなこと言う?」と拍子抜けしましたよ。本当。
次女にそう言われて、私の言い訳は、「夜に20分間、すおみと一緒にメタかつやっているから、それが準備の時間になっているし、それにママは長くやっているから、アメリカとかメキシコに行ったら、きっと自然と言葉が体から出てくるから、大丈夫。だって、中国で1ヶ月間過ごした時も、全くわからない中国語が、自然とわかり、仲の良い人たちの会話なら理解でき、そして最後は、会話が理解できて、一緒に笑えたんだよね。本当不思議な体験だったけど、あの中国語がわかったんだから、アメリカもメキシコも絶対大丈夫だって思ってるねん」と言うと、次女は「じゃあ、お母さんは、もうこれからイヤロンに行く子たちにメタかつしなさいって言っちゃダメだよね。だって、メタカツしなくても、なんとかなる、大丈夫ってことでしょ?」と返してくる。笑
イヤロン行っていない次女が、メタ活しなくちゃダメじゃんって言ってきて、言葉が話せるようになる大事な準備が「メタカツ」だって、思っていることも、なんというか・・・面白いというか・・・。生まれた時から多言語の環境で育ったからか、「言葉が育つ感覚」っていうものが体験として彼女の中にあるってことなのかな?
私は、たじたじに言い訳しながらも、心底嬉しかったです。
長くなったので、嬉しいこと2つ目は、次に書こうと思います。→嬉しいことは続く②へ